「健康途上」という考え方

「健康途上」というのは2013年頃に思いついた私の造語です。

「予防」は古くから使われている言葉ですし、最近では「未病」も耳にされることが多いのではないかと思います。

「予防」の方は予防接種、予防医学のように、病気になることを予(あらかじ)め防(ふせ)ぐという意味でしょう。

「未病」は辞書では「東洋医学において、検査を受けても異常が見つからず病気と診断されないが、健康ともいえない状態。放置すると病気になるだろうと予測される状態をいう場合が多い」と説明されています。

これらの言葉はともに「病(やまい)」あるいはその先にある「死」というものを見据えているように思われますし、実際のところ医学、医術というものはなんとかして病にならすまい、死なせまい、ということをめざす体系です。

この意味から「医」にとって「死」はもしかしたら「敗北」と理解されるのかもしれません。

けれども私はある時、たとえば不治の病にかかっている人、障がいを持っている人あるいは高齢で身体の自由が利かなくなった人でも「何となく今日は気分がいいな、身体が軽いな、痛みがないな・・・」と感じる日や瞬間があることに気付きました。

そしてこういう場合は予防や未病という考え方は役に立たない、のみならず治療の対象にすらならないのではないか?と思うようになりました。

そこでたどり着いたのが「健康の方向への変化」つまり「健康途上」という言葉でした。

今日気分がいいかどうか、調子が良いかどうかは他人が決めることではなく自分が勝手に感じる自由があるはずです。

であれば、病や死、逃れ難い不自由から「まわれ右」をして健康の方を見る、そしてそっちに少しでも近づいたと自分で思えるのならそれは立派な健康途上の変化と認めてもよいのではないか?そんなふうに思ったわけです。

もちろん現在健康な人もさらに上の健康をめざせばそれも同じく健康途上だということになります。

こんな考えから私は自分が55歳になったある日「予防でも未病でもない健康途上」について研究してみることにしました。

それからの10年間に考えてきたことをこれからこのサイトでお話してみようと思います。

そしてこのサイトにお立ち寄り頂いた皆さんと一緒にさらに考えを深めて行ければと願っています。